フリーランスになる前のアパレル社員だった時代の企業戦士だった頃の話を書いております。1社目は演出会社。。。主にファッションショーやブランドのパーティーを生業とした会社の話をしました。気になる方はこちらもチェックお願いします。
目次
アパレル社員からのフリーランスまでの道のり〜①
私が23才頃の2社目に入るまでと辞めるまでのお話をしていきたいと思います。
イケイケのヤングアパレルへ入社編
このイケイケという表現がまさにぴったりな話をしていきますね。ちょうど1社目を約3ヶ月で辞めて途方にくれていて、建設現場で働いていた頃。友達から連絡が入ってきて。。。
〇〇って会社知ってる?
しりません。
○○ってレディースのブランドしってる?
知りません。
そんなやり取りをしていると、【実は人を探していると】いうのです!!しかも、探している職種というのが、【企画・生産】というのです!
実際私は、企画や生産と言った類はまったくわからないけど、転職活動に困っていた私はすぐ面接できるというので来週面接の日取りを決めて面接をしてもらうことに。
面接〜入社までの道のり〜
いよいよ面接の日がやってきました。実はその会社は当時109というファッションビルやMOOK本も出す、当時の10代〜20代だったら知らない女性はいないっていう会社だったのです。。。当時の会社全体の売上だと、950憶の売上でしたね。
これで、受かったらモテまくりだ〜
そして面接がスタート。志望動機とか生産についてとかブランドについてとか色々聞かれて、私はたじたじ。当時若かったこともあり、【生産出来ます!!】と嘘をついたのです。。。これが後に地獄と言うべき事態が起こることになるとは思いもよりませんでした。
最後に面接官に【何が出来る?】って聞かれたので、これだっ!と思い。
私【盛り上げる事が出来ます!!】
面接官【もう一回聞いていい?】
私【はい!盛り上げる事が出来ます!!】
面接官【最後にもう一回だけ聞いていい?何が出来るの?】
私【えっと。。。盛り上げる事が出来ます!!】
完全にやってしまったのです。空回り以上に痛い発言をしていたことに後から友人と話して分かりました。
が!
なっ何と受かってしまったんです。2次面接もヒヤヒヤもので落ちたかと思いましたが奇跡的に受かって、入社することになりました。
所属は、ブランドの【デニムの企画・生産】に配属になりました。ここで、新たな人生のスタートがはじまると同時に、どうしよう。。。と生産が出来るテイで入社したことに不安と不安がごっつんこ状態です。
まず、生産に関して必須で分かっていないといけない事。
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仕様書の作成…これを書く為には、生地や縫製工程や糸の種類やミシンの針数など様々な事がわかってないとだめんです。
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原価計算…商品を作る為に必要な縫製工賃やサンプル代や関税等のことが分かってないとだめんです。
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デニムの企画…ここはデニムの加工やデザインを出す事なんですけど、ここは発想力で勝負だっ!と自信はありました。笑
仕様書と原価計算はまったく分からなかった私がとった行動とは?
そうなんです。夜な夜な仕様書とサンプルを見比べて仕様書を必死で覚えようとしたんですが、そう簡単に分かるわけがありません。
これだっと思った作戦は、仕様書を依頼する他社の業者の方にこっそり聞いて何とか生きて3ヶ月が過ぎ去っていきました。
そんな中、当時の上司の方から提案サンプルを上げていいよ!私はいよいよ企画としての本能が発揮できると思い、モチベーションMAXな状態でした。
ところが、、提案サンプルを上げる前に企画書の段階で何度もダメ出しを受けて何週間か経ちました。。。もう何がダメだか分からないと同時に怒りがこみあげてきました。
何がだめんだよ!チクショー
また、提案してダメだったらゴリゴリに押し込んでやろう!と思って提案してみたら、やっぱりダメ。。。【何が駄目なんですか??】と意見したその時に上司に言われて一言が凄く今でも印象に残っていったのです。それは。
【オナニーばかりしてんじゃねーーー、ブランドの中で企画するにはオナニーじゃ駄目なんだよ!オナニーは1%だけ入れろ!!!】
な、何を言っているんだ?その当時はまったく理解できなかった私ですが、その言葉の本当に意味はブランドの色をちゃんと入れ込んだ、ブランディングに合ったモノ作りをしなさいって意味だったんですね。これは、いまでもちゃんと覚えているフレーズですね!
そして、やっとの思いで自分の企画したサンプルがいよいよ製品化になる所まできました。絶対に売れるって思いで上司にそのデニム商品の名前まで決めさせてくれました。
が。。。②
まったく売れませんでした。これまたマズイ事に、当時7店舗お店があったのですがこっそり全店に【絶対に売れるので全面に押し出してくださいっっっっ‼】と勝手にアナウンスをしてしまったのです。これが、のちに大問題に。
通常109というファッションビルに入るお店は、2週間で新作を回転させるシステムだったのです。何と私が、出した商品の消化率は2週間でたったの3%だったのです。
当然、上司のさらに上の上司にまで激怒されて、何とそのデニムはショートパンツにするって事になったんです。
ここでも私は納得いかず、勝手に当時のブランドのデザイナーとこのバランスで切りたいですって勝手に動いてしまったのです。もちろんそれも当然怒られました。
しかし、店頭で販売された時には、何と消化率は90%を超えた大ヒット商品へと変わっていったのです。その時につけたデニムの名前が今のフリーランスの屋号になったんですけどね!笑
でも分からない地獄は半年間は続きました。正直しんどい。と思うようになりました。その当時に隣の畑は良く見えるといったものです。営業チームが毎日ワチャワチャしている事に私は、【楽しそうだなーー】と思いを馳せて行ったのです。
当時のブランドの責任者の方ととても仲良くさせて貰っていました、その時に【営業楽しそうですね】って言った発言が後の私に人生の選択が迫られている事も知らずに。。。
当時の私に言ってやりたい。【隣の畑は良く見えるだけだぞー!】と。
営業編〜
1年が過ぎ去っていました。1年も経てば人って変わるものですね。デニムの深さがとても分かってきて楽しくなってきたのです。そんな中、ブランド責任者の方に呼ばれました。何かなーと思っていたら。
ブランド責任者【来期からお前は営業だ】
私【え?嫌です】
ブランド責任者【お前にその権限はない】
この選択は、後の人生を左右する出来事だと当時の自分でも分かっていました。しかし折角デニムの楽しさが分かってきたのに、異動なんてするなら辞めようからとも思ってました。ここで、またデニム上司に言われた一言で私は決断するのです。
【今回の件、本当にすまない。どうする事も出来なかった。しかしお前にとっては悪い話ではない。もし、俺に恩が少しでもあるなら、営業で一番を取ってこい、それが恩返しだ!】と。
私が思うに、このデニム上司の方はきっと色々動いて説得してくれて、その上でこの発言をしたって事は1年一緒に仕事をしてきた私だからこそ、わかる発言だと思います。その言葉がスーッと入っていき、私は、営業になることを決めたのです。
営業として3年が過ぎたころにある事件がありました。
前十時靭帯断裂〜退社まで
バリバリ働いていた頃、社内のブランド対抗フットサルが行われるというのです。こればサッカー経験者としていかないわけにはいかないと思い、参加。
先発でもない私が、キックオフ直前に会場についてお酒の力を借り勝手に先発に出場。
その結果。開始30秒も経たずに膝が「ガクンッ」と変な方向になり、その時いた整形外科の先生がこれは完全に「前十時靭帯断裂」だね。と。
半年は松葉杖で生活していて、このまま続けていても自分のパフォーマンスが落ちてしまうと思い。辞める事を決意した夜に当時のブランドの販売部長を呼び出し飲んで相談していたら、【だったらあんた辞めるべきや!】と。
その次の日に営業の上司に「辞めます!!」と言ったら。その上司から言われた一言が。。。
【3ヶ月だけまってやる。そしたら復帰してこい】
当時の主治医の話だと入院で2カ月、普通に歩けるまで半年。完治に9カ月かかると言われていたので、無理だ。。と思いながら【分かりました】と休職届を出して入院生活をするのです。
その入院期間に色々考えました。そして復帰をすることに決めたのです!!決めたからにはリハビリをしっかりして約束の3ヶ月まで必死に頑張り、見事復帰をしたのです!
復帰をしたけれども今までの営業としての役割ではない部分をやっていきたいと思い。当時のブランドにはDB(ディストリビューター)という大事な役割の部門が無かったのです。そこで自ら志願してこのポディションに就くことになりました。DBというのは在庫管理や商品最適、消化状況に応じて在庫の振り回しを40店舗もあったので全て私の管轄にしました。
色々経験を積んでいくにつれて、新たな場所で自分を試したいという気持ちになりました。そこで、本当に怪我でもなく自分自身の為にやめる事を決意したのです!
次に挑んだのは、ベンチャーアパレル!!
続きはフリーランスまでの道のに③へと綴っていきます。フリーランスまでの道のり①もご覧ください!
ご愛読ありがとうございました。